その心配が、体を蝕みます

心配は、害のない癖のように扱われがちです。少しくらい気を揉むのは真剣さの証拠——そう思ってはいないでしょうか。
けれども医学の目から見れば、慢性的な不安は体への攻撃にほかなりません。心配するとき、副腎はコルチゾールを分泌します。血流には糖があふれ、体は「闘うか、逃げるか」の構えを取ります。
この仕組みは、短期の生存にかけては見事なものです。虎に追われているなら、その糖こそ命綱です。
しかし、低く垂れこめた不安の中で生き続けるとき——支払いのこと、子どものこと、ニュースのこと、先行きのこと——そのスイッチは切れません。行き場のないストレスホルモンが、絶えず体を満たしていきます。
科学が確かめているとおり、この状態が長引けば臓器は傷み、免疫は弱り、やがて病を招き入れます。
神の「恐れるな」という命令は、霊的なきれいごとではありません。健康の処方箋です。平安——(シャローム) שָׁלוֹם — 「平安、欠けのない全さ」——こそが解毒剤なのです。
主イエスが「わたしは平安をあなたがたに残して行く」と言われるとき、それは体の内側をもとに戻す約束です。自分で自分を攻め続ける化学戦を、やめる道が差し出されているのです。
きょう、主の平安を受け取ってください。たましいのためだけでなく、あなたの体が生き延びるために。
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