聖書の中には、ギリシア語の学者たちでさえ、説明するとき一度息を整えるほど強いことばがあります。

「主が罪を認めない人は、さいわいである」
ローマ人への手紙 4:8 (口語訳)
/ 詩篇 32:2

口語訳はここを「認めない」と訳していますが、原語の否定は二つ重ねられています。
(ウー・メー) οὐ μή — 「決して…ない」
すなわち「どんな場合にも、どんな事情があっても、絶対にない」ということです。

神はこう言っておられます。
「わたしは、あなたの帳簿に二度と罪を記さない」

罪が記帳されないのであれば、
その実もまた、記されません。
恐れも、病も、乏しさも、のろいも、死も。

これらはみな、罪とともに入ってきたものです。
根が、もうあなたの負債として数えられないのなら、
その実にも、居座る法的な根拠はありません。

これは前向きな考え方の話ではありません。
契約に基づく真実です。

神ご自身が、これを覆すことはないと言われます。
手を加え直すこともありません。
考え直すこともありません。

ひとたびキリストにあるなら、
あなたの口座は罪に対して閉じられ、
恵みに対して開かれています。

神があなたに罪を数えないと言われるのですから、あなたもまた、罪がもたらすものを受け取らないと決めるのです。