その思いは、あなたではありません

敵がもっとも巧みに使う道具のひとつは、「私」という一人称です。
暗い思いが心に入ってきます。恐れの思い、依存の思い、絶望の思い。すると次の瞬間、あなたはこう考えます。「私は依存症だ」。「私は落ち込んでいる」。「私は正気を失いかけている」。
あなたはその思いを自分のものとして引き受け、自分の正体として受け入れてしまうのです。けれども、戸をたたく者がいるからといって、その人がその家に住んでいるわけではありません。
侵入してくる思いは、頭の上を飛んでいく鳥のようなものです。鳥が頭上を飛ぶのを止めることはできません。しかし、その鳥が髪の中に巣を作るのを許さないことはできます。
神を汚すような思い、望みを断つような思いが飛んできたら、つかまえないでください。分析しないでください。そして何より、それに「私」と名前をつけないでください。ただの雑音として扱い、外から来た異物として扱うのです。「それは私ではありません。私にはキリストの思いがあります」と言ってください。
悪魔は外から内へと働き、訴えの言葉をあなたの心に投げつけます。神は内から外へと働き、御自身の願いをあなたの霊に植えてくださいます。
あなたは、頭をよぎるすべての思いの寄せ集めではありません。
この記事が心に残りましたか。毎朝、こうした短いディボーションをメールでお届けします。
