食べものでは、どうしても届かない飢えがあります。

食べてみます。
楽しいもので気をまぎらせてみます。
別のことに心を向けてみます。
それでも、どこかが空いたままです。

聖書は、その正体を言い当てます。

「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」
マタイによる福音書 4:4 (口語訳)

からだが空腹を覚えるように、霊もまた飢えます——
そして、それを養うものは、ただ一つです。

「それは、これを得る者の命となり、またその全身を健やかにするからである」
箴言 4:22 (口語訳)

健やかさは、からだから始まるのではありません。
心が何を食べているか、そこから始まります。

癒しは、からだを取り戻させます。
養いは、からだを保たせます。

神の言葉は、揺れる思いを静め、恐れをなだめ、望みを新しくし、信仰を強くし、世の騒がしさから心を守ります。

多くの人が癒しを願います。けれども、まず必要なのは養いである、ということが少なくありません。

長い旅路のあとで温かい食事にあずかる旅人のように、聖書が開かれ、聞かれ、受け取られるとき、魂は生き返ります。

あなたの霊は、いのちの味を知っています。
養われているときを、知っています。
飢えさせられているときも、知っています。

何かを勝ち取るために聖書を読むのではありません。
心に落ちた一つ一つの言葉が、そのまま健やかさになっていくからです——ゆっくりと、確かに。

日ごとに、養い続けてください。

あなたに必要な奇跡は、抜かしてきたその一食から始まるのかもしれません。