安息は逃避ではなく、調律です

イエスが、ご自分の与える祝福を語られたとき、選ばれた言葉はひとつでした。
知恵も、力も、権威も——挙げようと思えばいくらでも挙げられたはずです。けれども主が口にされたのは、安息でした。
安息とは、何もしないことではありません。
御霊に導かれて動くことです。
ヘブル人への手紙は、こう告げます。
世の中は、重圧を燃料にして回っています。
広い道とは、緊張と競り合い、そして自分の価値を証明し続けなければならない、終わりのない道のりです。
狭い道は、安息です。そして、それを見いだす人はわずかです。神が隠しておられるからではありません。思い煩いは慣れ親しんだもので、信頼することは危なっかしく感じられるからです。
安息こそ、いのちの始まる場所です。
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