敵は、あなたを偽善者呼ばわりするのが大好きです。

あなたはまだ病と闘っているのだから、人の癒やしのために祈る資格などない——そう囁きます。自分の家庭がこんなに揺れているのに、人の家庭のために祈れるものか、とも言います。力ある者になる前に、まず完全になれ。敵はそう要求してくるのです。

これは偽りです。

アブラハムには子が与えられるとの約束がありました。それなのに、妻サラの胎は何十年ものあいだ閉ざされたままでした。その痛みの続く待ちの日々の中で、アブラハムは、異邦の王アビメレクのために祈らねばならない場面に立たされます。神が、王の家のすべての胎を閉ざしておられたのです。

アブラハムはこう言うこともできました。「この祈りは私には無理だ。私自身、まだ答をいただいていないのだから」と。

けれども彼は、自分にこそ足りないその一点のために、祈ったのです。

「そこでアブラハムが神に祈ったので、神はアビメレクとその妻および、はしためたちをいやされて、彼らは子を産むようになった。」 創世記 20:17 (口語訳)

そして、その直後に起こったことをご覧ください。

「主は、さきに言われたようにサラを顧み、告げられたようにサラに行われた。」 創世記 21:1 (口語訳)

恵みは、嘆く者を与える者へと変えます。自分の欠けから目を上げ、だれかの祝福となる道を選ぶとき、自分のことばかりに縛られていた輪が断ち切られるのです。

答が目に見えるまで待ってから仕えるのではありません。あなたが突破を必要としている、まさにその領域で、人のために祈ってください。

あなたのための奇跡は、しばしばだれかへ向かう途中で、あなたの手を通っていくのです。