恵みを知る前、罪はあたりまえの顔をしていました。
恵みを知った後、罪は重くのしかかります。

その痛みは、偽善ではありません。
それは、造り変えられている証拠です。

多くの信者を苦しめているのは、救われる前の自分の姿ではありません。
救われた後も、なお顔を出してくるもののほうです。

聖書は、この葛藤をはっきりと言い表しています。

「わたしは自分の欲する事は行わず」 ローマ人への手紙 7:15 (口語訳)

この戦いは、信仰が破れかけているしるしではありません。
いのちが始まったしるしです。

死んだ心は、もがきません。
生きている心が、もがくのです。

示されることと、罪に定められることは違います。
それは、心が柔らかくされたということです。

御霊が罪を明るみに出されるのは、あなたを恥じ入らせるためではありません。
あなたがご自分のものだからです。

「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである」 マタイによる福音書 5:6 (口語訳)

心が痛むのなら、それはあなたのうちに、新しいいのちが生きているからです。

その居心地の悪さは、失敗のしるしではなく、成長のしるしかもしれません。