長く信じてきた人でも、ふと立ち止まって思うことがあります。わたしは今、神の前でどこに立っているのだろうか、と。

パウロはこう書いています。

「信じる者はことごとく、この人によって義とされるのである」
使徒行伝 13:39 (口語訳)

そのうえで、彼はこう問いかけます。

「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んだかた、否、よみがえったかたであって……」
ローマ人への手紙 8:34 (口語訳)

よみがえられたキリストを罪に定めうる者がいないのなら、
そのキリストに属する者を罪に定めうる者もいないのです。

あなたの義認は、壊れやすいものではありません。
あなたの義は、一週間ごとに借り直すものでもありません。
あなたの立ち場は、その日その日の心の調子に左右されるものでもないのです。

あなたは、主イエスの立っておられるところに立っています——完全に義とされ、完全に受け入れられ、完全に主のものとして。