ヘブライ語で「見る」を意味する (ハザー) חָזָה という語は、(ハゼー) חָזֶה —「胸」、すなわちいけにえとしてささげられた動物の胸の部分と、同じ語根を分け合っています(レビ記 7:30-31)。
その胸は、祭司に与えられる分でした。

これは一つの絵姿です。
神がご自分の民に何よりも先に「見せたい」もの、それは自分のために死んでくださったお方の愛なのです。

十字架において、主イエスは聖書が約束していたことを成し遂げてくださいました。
「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」 イザヤ書 53:5 (口語訳)
「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた」 ペテロの第一の手紙 2:24 (口語訳)

十字架は、義とあわれみが出会う場所です。
聖なる要求は満たされました。
愛は覆いを取られました。
そして、まなざしが澄んでいきます。

他のあらゆる「幻」——(ハゾーン) חָזוֹן —「幻、啓示」——は、この一つの上に建てられています。
この愛が見えるなら、ほかのすべてもいっそう鮮やかに見えてくるのです。

主の愛が見えたとき、ほかのどの真理も、ようやく信じられるものへと変わります。