わたしたちは、まず自分の欠けたところに目がいきます。
けれども神は、違うものをご覧になります。

キリストがご自分の民をどう見ておられるか。
聖書がそれを語るとき、その言葉は、にわかには信じがたいほどです。

「わが愛する者よ、あなたはことごとく美しく、少しのきずもない。」
雅歌 4:7 (口語訳)

神は、わたしたちの弱さを見ないふりをなさるのではありません。
キリストが成し遂げてくださったみわざを通して、わたしたちをご覧になるのです。

義とされた者。
責められるところのない者。
受け入れられた者。
満たされた者。

わたしたちがうまくやれたからではなく、
イエスが完全に成し遂げてくださったからです。

そして祈りは変わります。自分の目ではなく、
神の目から祈りはじめるとき。

受け入れてくださいと願い続けることをやめ、
義を与えてくださった主に感謝しはじめます。
さばきを恐れることをやめ、
恵みの中に憩いはじめます。

自分が何者かは、自分のふるまいから始まるのではありません。
主のまなざしから始まるのです。

自分の欠けを見つめることをやめ、主の完成されたみわざを見つめるとき、変えられることは始まります。