中国のことわざに、「魚に水のことを問うな」というものがあります。

なぜでしょうか。魚は水にひたりきっているために、水を語ることができないのです。ほかを知らないので、比べるものがないのです。

わたしたちとこの世との関わりも、それによく似ています。請求書を払い、子どもの試験に備え、休暇の予定を立てる——そうした地上の暮らしに閉じこめられているために、これよりも good なものがあるとは、どうしても思い描けません。だから天国と聞くと、霊となってふわふわと漂う、霧のようにぼんやりした世界を思い浮かべてしまうのです。

けれども聖書は、まったく別の見方を差し出します。

「……子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。」
ローマ人への手紙 8:23 (口語訳)

神はあなたの魂だけをあがなわれたのではありません。あなたのからだのためにも、代価を払ってくださいました。将来に待っているのは、漂うことではなく、朽ちることのない体をもって生きることです。新しいからだ。手を握り、食卓を囲み、心を通わせることができ、それでも老いることなく、修繕を必要とせず、疲れを覚えることのないからだです。

この世の喜びを設計されたのは、神です。その神が、次の世でいっそう深い喜びを味わえるからだを設計できないはずがありません。

いま泳いでいる水に、来るべき祝福されたいのちへの想像を、閉じこめさせないでください。