多くの信じる者の内側で、綱引きが起きています。
感情はこう言い、
福音はこう告げる。その間で、心が引き裂かれるのです。

パウロはこう記しました。

「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」
コリント人への第二の手紙 5:21 (口語訳)

あなたはなお、依存から抜け出せないと感じているかもしれません。
なお、不安に飲み込まれそうだと感じているかもしれません。
なお、縛られたままだと感じているかもしれません。

けれども聖書は、あなたの感情よりも確かなことを宣言しています。あなたは、キリストにあって神の義なのです。

私はそれを、刑務所での働きの中で、この目で見てきました。

薬から自由になりたいと、必死に願う人が大勢いました。
意志の力に頼ってみる。
努力を重ねてみる。
自分自身に固く誓ってもみる。

それでも出所したのち、多くの人がまた同じ輪の中に戻っていきました。弱かったからではありません。やめるための力を、なお自分の内側にだけ探していたからです。

けれども、もう一つのグループがありました。「勝利者たち」と呼びたい人々です。

彼らに告げられたのは、「薬をやめなさい」ではありませんでした。
「これがキリストにあるあなたの姿です。あなたは主にあって義とされた者です」——そう告げられたのです。

すると、何かが動きました。

自分を「変わろうとしている薬物依存者」として見るのをやめた瞬間、
そして自分を「義とされた者が、その歩き方を学んでいるところだ」と見るようになった瞬間、
依存の力がほどけはじめたのです。

気張ることによってではありません。
鍛えることによってでもありません。
自分が何者であるかを知ることによって、でした。

ひとり、またひとりと、以前とは違う錨を下ろして門を出ていく姿を、私は見送りました。
試練が訪れたとき——必ず訪れるのですが——彼らはもう、逃げ場としての薬を必要としませんでした。
彼らが向かったのはイエスでした。担ってくださるかた、力づけてくださるかた、人生に向き合う新しい道を与えてくださるかたのもとへ。

同じことが、病についても言えます。
感じているものを、そのまま感じてかまいません。けれども、あなたは感じているものではありません。