多くの信仰者は、心のどこかに小さな恐れを抱えたまま祈ります——
「わたしはまだ、神から遠いのではないか」

けれども聖書は、その距離はもうない、と告げます。

「ところが、あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。」
エペソ人への手紙 2:13 (口語訳)

「近い」と訳されている言葉は (engys) ἐγγύς — 「引き寄せられて、すぐそばにいる」 です。遠くから眺める近さではなく、手の届くところに置かれた近さです。

祈りが、神との親しさを生み出すのではありません。
それは、十字架がすでに成し遂げたことです。

祈りとは、その親しさの響きです。
礼拝とは、その親しさの手ざわりです。
従順とは、その親しさが結ぶ実です。

あなたは、神のもとへよじ登るために祈るのではありません。
神がすでに、あなたをご自身のかたわらに置いてくださったから、祈るのです。

祈りは神へ至る道ではありません。すでに我が家にいると気づいたときに、おのずとあふれ出るものです。