多くの信じる人が、自分の義を薄いガラスのように扱っています。美しいけれど、ひと当たりで砕けてしまうもののように。

けれども聖書は、まったく別のことを告げています。

「彼は一つのささげ物によって、きよめられる者たちを永遠に全うされたのである。」
ヘブル人への手紙 10:14 (口語訳)

ここで「永遠に」と訳されている言葉は、時を語る一語です。(エイス ト ディエーネケス) εἰς τὸ διηνεκές —「途切れることなく、続けざまに」。始まりから終わりまで、切れ目のない一本の線として続いていく、という意味あいです。

次の失敗までの完全、ではありません。
気持ちが落ち着くまでの完全、でもありません。
永遠に、全うされたのです。

しくじりは、あなたの確信を揺さぶるかもしれません。
けれども、あなたの立ち位置までは揺さぶれません。

アダムのひとつの罪によって、人は生まれながらに罪人とされました。
どんなに行いを整えても、それを覆すことはできませんでした。
同じように、
キリストの従順によって、あなたは新しく生まれ、義とされたのです(ローマ人への手紙 5:19)。
そして、あなたのあやまちもまた、それを覆すことはできません。

あなたの義はもろくありません。それはあなたの出来ばえではなく、キリストの従順に錨を下ろしているのです。